History — 店主のヒストリー

ハッタリを、
現実に変えてきた。

DUBDESIGN代表・三浦孝一(みうらこういち)。2007年、会津若松のレゲエと古着の店から始まり、デザイン一本で生き残ってきた、まだ終わっていない記録。

01
2007年

PARDY HAUNT、始動

20代、初めての海外はタイだった。目的は古着の買い付け。着いたホテルでは、ホテルマンが自分の頭(当時はコーンロウ)を見るなり陽気にボブ・マーリーを歌い出し、荷物を運び終えると当たり前のように手を差し出してきた。日本にはない、まっすぐなチップの文化。綺麗事じゃない、これが世界標準のコミュニケーションかと妙に納得したのを覚えている。一歩通りに出れば、屋台のスパイスの匂いと熱気。頼んでもいないのに寺や名所に遠回りするトゥクトゥクの運転手。強烈な甘さと辛さがせめぎ合う飯。ある晩、現地の知人に呼ばれた夕食の待ち合わせ場所には、家族や親戚、見ず知らずの子どもまで含めた十数人が当たり前のように集まっていた。「こいつら誰だよ」と聞いても「ブラザーだ」「シスターだ」と笑うだけ。理屈抜きの「マイペンライ(気にしない)」に、自分の中の小さな境界線がどんどん溶けていった。巨大なナイトマーケットでは生バンドが爆音で鳴り、若者たちの熱狂ぶりは日本の野外フェス顔負けだった。マーケットでの値切り交渉にも次第に慣れ、時には騙され、時には人情に助けられながら、「どれが本物か」を見抜く目を鍛えられた数年間。ストリートやレゲエ、ヒップホップに夢中だったその日々を引っさげて、2007年、会津若松にレゲエと古着の店「PARDY HAUNT(パーディハウント)」を開いた。

「生きるってのは、もっとタフで、理不尽で、美しい。」

02
2009〜2010年

あいづユニフォーム、そしてDUB DESIGN

PARDY HAUNTを開けながら、頼まれてもいないのに友人のバンドやショップのフライヤー、ステッカー、ロゴを片手間で作るようになっていた。値段なんて決めていない。ただ「作れるなら作るよ」の延長だった仕事が、いつの間にか店の看板以上に自分を動かすようになっていく。2009年、アパレル製作の屋号「あいづユニフォーム Powered by Dub Design」が動き出す。同じ年にPARDY HAUNTを退き、翌2010年、デザイン一本で勝負する「DUB DESIGN」を創業した。事務所と呼べるものはなく、自宅の一角にパソコン一台を置いただけ。家を買い、家族も増えたばかりのタイミングだった。看板もなければ、後ろ盾もない。地方の相場や"それが普通"という空気に負けじと、ロゴを、チラシを、看板を、一件ずつ拾い上げるように仕事にしてきた。「仕事は綺麗じゃなくていい、まずは生き残るために戦う」——今も変わらない信条は、この頃に固まった。

03
2011〜2015年

会社員をしながら、手作りで事務所を育てる

創業したからといって、すぐに食えるわけではない。数年は会社員を続けながらの二足のわらじだった。仕事終わりや休みの日に、仲間が手を貸してくれて自宅の敷地にウッドデッキを増築(2012年)、翌年には自転車小屋も増築して、2013年にはついに「DUBDESIGN NEW OFFICE OPEN」。一人じゃなかったからこそ、機材も小屋も一つずつ形にできた。会津坂下や新鶴まで自分の足で営業に回り、深夜2時までシステムの悩みと格闘し、保育園の打ち合わせにスーツで行けば「怪しい」と警戒される——そんな地道な日々の積み重ねだった。2015年、ようやく会社員を退き、DUB DESIGN一本の暮らしに。当時のSNSには、こんな投稿が残っていた。

2011.09.05
ステッカー500枚で¥3000-です!! #オリジナルステッカー
2011.09.20
実は時計屋もやってます僕。
2011.10.13
STEVE JOBS T-SHIRTS
2011.11.19
戦の前の腹ごしらえ♪
2011.11.26
今日はシルクスクリーンするぞ!!その前に発送商品の梱包に追われてます…
2011.11.25
おはようございます!!今日は坂下と新鶴を攻めてきます!!
2012.03.21
リカバリ、リカバリの繰り返し。リカバリきれない。。。
2012.09.13
寝たきり2日目!! 寝たままデザイン、寝たままメール、寝たまま梱包、寝たまま集荷依頼、、ただ寝たまま(T_T)
2012.10.08
複数の商品名から各JANコード吐き出してさらにそれをCSVにしてくれるシステムありませんかね。。。深夜2時に悩む。。。
2012.10.12
某保育園に打ち合わせに来てます。先生方の警戒の目線が痛いですw 正装、、これはこれで怪しいらしい。
04
2018年

「見た目づくり」を、まるごと引き受ける

ロゴ・キャラクター・グラフィックから、看板・チラシ・パッケージ、そしてTシャツやユニフォームの現物製作、ホームページ制作まで。頼まれる範囲が少しずつ広がるたびに、必要な機材と技術を一つずつ足していった。2018年には新しい事務所兼店舗をオープン。「データを渡して終わり」にはしなかった。お店や会社の"見た目づくり"を、企画からモノになるところまで、まるごと引き受ける今のカタチに近づいた年だった。

05
2020年

それでも、店を閉じなかった

新型コロナで店舗営業は一時休止。打ち合わせも納品も、テレワークに切り替えた。それでも止まらなかった。会津の飲食店のために「テイクアウト会津」を独自に立ち上げた。仕組みはシンプルで、Instagramにテイクアウト情報を投稿する際「#テイクアウト会津」を付けてもらうだけ。情報化社会に埋もれがちな情報を、ハッシュタグ一つでリアルタイムに拾い集めて一覧化する、地域への無償の仕組みだった。マスクなどの衛生用品もオンライン販売に切り替え、「デザインの必要な方にはデザインを、マスクが必要な方にはマスクを」を合言葉に、その年を乗り切った。事務所の階段にはレアなスニーカーが並び、休日は子どもたちと遊んだり、「どうぶつの森」にどっぷりハマったり——そんな素顔ものぞかせながら、10周年を目前に控えていた一年でもあった。

06
2021〜2022年

マイホーム、そして新しい店舗兼工房

2021年、家族のためのマイホームを新築した。配筋検査の日には現場に立ち会い、鉄筋の太さや網目の幅まで一つひとつ確認した。"縁の下の力持ち"がこれから家族を支えてくれるんだと、柄にもなく感慨深かった。そして2022年、DUB DESIGNも新しい店舗へ移転。プリントも刺繍も自社の設備で仕上げられる、より大きな店舗兼工房を構えた。自宅の一角から始まり、コンテナや、仲間と一緒に建てたウッドデッキを経て、ようやくここまで来た。デザインを渡して終わりではなく、現物になるところまで責任を持てる体制が、ここでようやく整った。

07
2026年、48歳

AIを、新しい相棒に

20代から30代、独立して事務所を立ち上げたばかりの頃は、間違いなく「自分自身」が人生の絶対的な主役だった。自分の作ったロゴがどう評価されるか、自分がどう成り上がるか——頭の中はいつもそれで満たされていた。子どもが小さかった頃でさえ、心のどこかで「これは自分の人生のサイドストーリーだ」と思っていたふしがある。その主役交代は、ある日突然ではなく、静かなグラデーションでやってきた。子どもが自分の意思を持ち、親の手が届かないところで自分の戦いを始めた頃。机にかじりついて自分の未来を切り拓こうとする背中を見ながら、いつの間にか自分の中のカメラのピントが、自分自身ではなく「新しい挑戦者」に合っていることに気づいた。悔しさより先に、不思議と腹落ちする感覚があった。今は生成AIを積極的に取り入れながら、日々SNSで1.5万人のフォロワーに情報を届けている。「この経験を自分だけのものにしておくのはもったいない」——そう思って始めたnoteでは、AIと9日間でスマホゲームを作って公開するなど、新しいツールを貪欲に取り込み続けている。それは、PARDY HAUNTを始めた頃、右も左も分からないまま飛び込んでいったあの熱量と、根っこのところで変わっていない。

「俺の新しい仕事は、このドキュメンタリーの「裏方」だ。」

この物語の続きは、
まだ書いている途中だ。

ロゴ1点からでも、Tシャツ1枚からでも。あなたのお店・会社の"見た目づくり"を、一緒に。

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